脳血管疾患(脳梗塞、脳出血、くも膜下出血など)は発症後、様々な後遺症を残すことがあります。特に脳梗塞の場合、損傷した脳の部位によって症状が異なりますが、言語障害(失語症)、運動障害、認知機能障害などが代表的です。これらの後遺症は患者本人だけでなく、配偶者との関係性にも大きな影響を与えます。
失語症は脳血管障害後の最も頻繁に出現する症状の一つで、患者の人生に大きな影響を与えます。言葉を理解したり表現したりする能力が損なわれることで、夫婦間のコミュニケーションが困難になります。「何を考えているかわからない」「気持ちが伝わらない」といった状況が続くと、徐々に心の距離が広がってしまうことも少なくありません。
また、右半球の損傷では、失語症ほど目立たなくても、話の構造や一貫性の把握、他者の感情を察する能力などが低下することがあります。これにより、会話がまとまりにくくなったり、相手の気持ちに配慮できなくなったりすることで、親密な関係性を維持することが難しくなります。
さらに、脳血管疾患後には尿失禁などの症状が現れることもあります。研究によれば、脳卒中後には3割以上の患者に尿失禁が出現し、これは患者の生活の質を低下させるだけでなく、介護者の負担を大きく増加させる要因となります。
これらの後遺症によって、それまでの対等なパートナーシップから、「介護する側・される側」という非対称な関係性に変化することが、夫婦関係に大きな緊張をもたらします。
脳血管疾患を発症した配偶者の介護は、想像以上に大きな負担を伴います。特に24時間体制での見守りや、食事・排泄・入浴などの日常生活全般のサポートが必要になると、介護する配偶者の生活は一変します。
介護の負担は時間の経過とともに蓄積され、介護者自身の健康状態にも悪影響を及ぼします。「介護うつ」と呼ばれる状態に陥るケースも少なくありません。これは単なる疲労感だけでなく、臨床的なうつ病の症状を呈するもので、専門的な治療が必要になることもあります。
また、介護に追われることで自分の時間が持てなくなり、社会的に孤立してしまうことも大きな問題です。友人との交流や趣味の時間が減少し、精神的な支えを失ってしまうことで、さらにストレスが増大する悪循環に陥りやすくなります。
身体的な負担も見逃せません。移動の介助や入浴の介助など、力仕事が多く含まれる介護は、特に女性や高齢の配偶者にとって大きな身体的負担となります。腰痛や関節痛などの慢性的な痛みを抱えながら介護を続けるケースも珍しくありません。
このような状況が長期間続くと、「このまま一生介護を続けなければならないのか」という将来への不安や絶望感が生じ、離婚を検討するきっかけになることがあります。
脳血管疾患の後遺症として、意思疎通が困難になるケースがあります。特に脳梗塞の重度の後遺症では、相手と意思の疎通ができなくなることがあり、このような状況では通常の離婚手続きを進めることができません。
通常、離婚は当事者同士の合意(協議離婚)や調停によって成立しますが、意思疎通ができない場合、これらの方法は適用できません。このような場合、まず家庭裁判所に成年後見の申立てを行い、配偶者に成年後見人を付ける必要があります。
成年後見人は身分行為(離婚など)の代理はできませんが、訴訟での代理人となることは可能です。そのため、成年後見人を相手方として離婚裁判を起こし、離婚の成立を目指すことになります。この過程は通常の離婚手続きよりも複雑で時間がかかるため、専門家(弁護士)のサポートが不可欠です。
また、裁判による離婚の場合、法定離婚事由が必要となります。民法第770条に定められた離婚事由には、「配偶者が悪意で遺棄したとき」「配偶者の生死が3年以上明らかでないとき」「その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき」などがありますが、配偶者の病気や障害だけでは通常、離婚事由として認められません。
しかし、個別の事情によっては「その他婚姻を継続し難い重大な事由」に該当すると判断される可能性もあります。例えば、介護の負担が極めて大きく、介護者の健康状態が著しく悪化している場合や、患者の暴力的な言動がある場合などは考慮される可能性があります。
脳血管疾患を理由に離婚する場合、通常の離婚と同様に財産分与の問題が発生します。しかし、病気の配偶者との離婚では、道義的な観点からも慎重な対応が求められます。
財産分与は原則として夫婦が婚姻中に協力して形成した財産を対象に、平等に分ける考え方が基本です。しかし、脳血管疾患の治療費や今後の介護費用なども考慮する必要があり、単純な折半では不公平が生じる可能性があります。
また、病気の配偶者が働けなくなった場合、離婚後の生活保障も重要な問題となります。このような場合、財産分与に加えて、離婚後の扶養的な意味合いを持つ慰謝料(離婚給付金)が認められることもあります。
一方で、介護を放棄したとして慰謝料を請求されるケースも考えられます。しかし、別居状態にあり婚姻関係が既に破綻していると認められる場合には、介護義務が直ちに発生するわけではないとされています。
離婚後の医療費や介護費用の負担についても明確にしておく必要があります。国民健康保険や介護保険の利用、障害年金の受給資格なども確認し、離婚後の生活設計を具体的に検討することが重要です。
これらの複雑な問題を解決するためには、家族法に詳しい弁護士に相談し、適切なアドバイスを受けることが望ましいでしょう。
脳血管疾患は、身体機能だけでなく性格や感情のコントロールにも影響を与えることがあります。特に前頭葉が損傷を受けた場合、感情のコントロールが難しくなり、怒りっぽくなる、無関心になる、衝動的になるなどの変化が現れることがあります。
これらの変化は、「病気のせいだから仕方ない」と理解しようとしても、日常生活の中で繰り返されると、配偶者にとって大きなストレスとなります。「以前の夫(妻)とは別人になってしまった」と感じ、喪失感や悲しみを抱える配偶者も少なくありません。
しかし、脳血管疾患後の性格変化や認知機能の低下は、適切なリハビリテーションによって改善する可能性もあります。特に発症から早期にリハビリを開始することで、回復の見込みが高まります。
また、家族療法や夫婦カウンセリングなどの心理的サポートを受けることで、新しい関係性を構築できるケースもあります。お互いの期待値を調整し、「以前と同じ関係を求める」のではなく、「新しい関係性を築く」という視点の転換が重要です。
さらに、介護保険サービスやレスパイトケア(介護者の休息のための一時的なケアサービス)を積極的に活用することで、介護者の負担を軽減し、夫婦関係を維持する可能性も高まります。
離婚を考える前に、地域の支援サービスや医療機関のソーシャルワーカーに相談し、利用可能な支援制度について情報を得ることをお勧めします。また、同じ境遇の家族が集まる患者会や家族会に参加することで、精神的な支えを得られることもあります。
介護保険制度について詳しく知りたい方は厚生労働省のウェブサイトが参考になります
脳血管疾患を発症した配偶者との離婚を検討する場合、法的な問題や手続きが複雑になることが多いため、専門家のサポートを受けることが重要です。
まず、離婚問題に詳しい弁護士に相談することをお勧めします。特に、成年後見制度の利用が必要なケースでは、その申立手続きから離婚訴訟まで一貫してサポートしてくれる弁護士を選ぶと良いでしょう。初回相談が無料の法律事務所も多いので、まずは気軽に相談してみることから始めるとよいでしょう。
また、各地の弁護士会が運営する「法律相談センター」では、比較的安価で法律相談を受けることができます。経済的に余裕がない場合は、法テラス(日本司法支援センター)の民事法律扶助制度を利用することも検討してください。
さらに、地域の福祉事務所や地域包括支援センターでは、介護保険サービスの利用方法や障害福祉サービスについての相談に応じています。医療ソーシャルワーカーも、退院後の生活設計や社会資源の活用について助言してくれる心強い味方です。
精神的なサポートとしては、保健所や精神保健福祉センターでの相談も利用できます。介護による精神的負担が大きい場合は、自分自身のメンタルヘルスケアも重要です。
また、同じような境遇にある方々が集まる「家族会」や「患者会」に参加することで、実践的なアドバイスや精神的な支えを得られることもあります。日本脳卒中協会などの患者団体では、様々な情報提供や相談支援を行っています。
法的支援について詳しく知りたい方は法テラス(日本司法支援センター)のウェブサイトが参考になります
これらの支援を上手に活用しながら、自分自身の健康と生活も大切にしつつ、最善の選択ができるよう慎重に検討することが大切です。一人で悩まず、専門家や同じ境遇の方々のサポートを受けながら、状況に向き合っていきましょう。